香川県の低床・ワンステップバス 三菱B820J呉羽ボディ (琴電・高松バス)

 

登録番号 事業社名 年式 
カラー・広告
シャーシ型式 車体はいずれも 三菱 B820J 呉羽ボディ
香22か13 琴電バス 昭和46年
キリンレモン
三菱 B820J についての簡単な解説

昭和44年に東京モーターショーで発表され昭和46年に正式発売された路線用低床バス。B8シリーズのような型式ですが エンジンはMR系と同じ6DB1型を右後ろにオフセットして搭載していました。特徴ある右側面後部はこのためです。
当時としては画期的な58cmの床面高さを実現したモデルでしたが 前後オーバーハングが長かったので走行路線が制限され現場では運用に苦労した様です。そのためか生産台数はわずか37台に止まっています。  その中でも琴電バスと高松バスの車両は 方向幕の上にひさしの無い初期のグループです。

大阪空港交通のランプバスには方向幕の上にひさしのあるタイプも在籍し DK20様のKOTETSU倶楽部では廃車体が紹介されています。
また 変り種として 名鉄バスへ昭和48年に B820J改 三菱ボディー(前半部B820Jコンポーメント 後半部MR470 型式はB820J改)が存在します。このバスについてはリンク先 特種車様の特種車の部屋をご覧ください。

車内の特徴は 飛び出した大きな4箇所のタイヤハウスに直角背もたれで前後向きのシートが取り付けられていました。  また非常口は車体中央にありました。
最後部に乗り口があるため最後尾には三分の一をエンジンルームが占め その横の通路に立つと後ろを眺めながら車窓を楽しめ OKMRはお気に入りの立ち席でした。
ちょうどよい具合にエンジンルーム上端と後部ガラスの下に握り棒が付いていて それにつかまると立つのにちょうどよかったのです。


導入先は羽田・大阪の空港ランプバス 路線では大阪市営・阪急・琴電・高松バスが知られています。

香川県での 三菱 B820J について

非冷房、入りにくい4速ミッション、アイポイントが低く小回りしがちになる 乗り心地が硬い などの理由で乗務員から嫌われ年式の割に廃車が早く 昭和59年の時点で14は廃車済み13もエンジンを下ろされていました。琴電バスで最後まで走っていたのは112と120でした。 前車は宮脇線、後車は鹿角線で朝ラッシュのみ細々と走っていました。

琴電バスと高松バスとの仕様差はほとんど無く 室内ではつり革と握り棒の位置の違いと琴電バスには網棚がありました。

宇多津で解体される13 (琴参先生撮影)
最後にはグチャグチャに (琴参先生撮影)
香22か14 琴電バス 昭和46年
電電公社のプッシュホン⇒ノーマル(TKR)
   
香22か15 琴電バス 昭和46年
三菱電機⇒ノーマル(TKR)
見栄えのよいTKRカラーの15
松島車庫でMR490と一緒に
香22か17 高松バス 昭和46年
明治屋(マイジャム⇒マイオレンジ50)
 
 
廃車回送前の17
 

高松バスの三台は主に松島線と宮脇線に 使われていました。
西通線は八幡前〜市民病院間が急坂で なおかつ道幅が狭い区間であったため使われていませんでした。

昭和61年9月1日の運賃改定時 市内線が150円均一から対キロ区間制 (120〜170円)に変更され 車両の整理券化が必要になったため廃車されました。

 

初期塗装の17号 テールレンズも真新しい
(新橋営業所様撮影)
 
高松バス時代 車庫にて (新橋営業所様撮影)
香22か19 高松バス 昭和46年
三菱重工業と四国機器⇒三菱自動車(キャンター・ふそうFK)
 
新橋営業所にて
高松港フェリー乗り場前
 
バンパー中央の黒い穴がマフラー
 
(琴参先生撮影)
新橋営業所は舗装工事中
新橋営業所へ帰ってくるところ 車体はほとんどロールしない
13号との貴重な並び写真 
(新橋営業所様撮影)
松島線東回り朝日町3丁目バス停付近の撮影
19車内 左より握り棒と中央の吊り広告が高松バス仕様
腰壁部分が少し緑色の塗装になっている。
高松駅前 下の写真と見比べると面白い
廃車直後の19
たいてい右テールランプの部分が外される
バンパーも外されている
幕は宮脇線東回り
初期塗装時代の19号 高松駅前にて
(新橋営業所様撮影)
初期塗装時代の19号 系統番号宮脇線@が付いている
(新橋営業所様撮影)
高松バス時代の19号 (新橋営業所様撮影)
大きなタイヤハウスがよくわかる
クロスシート部は着座位置が相対的にたかくなっている。
運賃が100円均一なのも懐かしい。
 (新橋営業所様撮影)
香22か44 高松バス 昭和46年
白十字製菓⇒ダンロップ
 
廃車直前の44 (琴参先生撮影)
部品取りが進んだ44
昭和53年頃に白十字製菓からダンロップに塗り替えられました。
高松琴平電鉄・高松バスのB820Jについて

昭和45年に新しい路線バスとして開発された三菱B820Jについては、残念なことに本格的に実用したバス会社が少なかったこともあって、その存在をご存知ない方も多いことであろう。
 そこで、本ホームページの管理者でもあるOKMR様より、B820Jの活躍していた当時のことについて資料を提出するように依頼があったことから、独断と偏見とは知りつつも簡単な紹介を試みることにした。


 昭和40年前半は高度成長に伴う高松市内での就業率が右肩上がりで成長した結果、郊外線の一部と市内線、特に宮脇線の朝ラッシュ時間帯の混雑が特に激しく、高松築港での乗客積み残しが慢性化していた。
  当時の高松琴平電鉄は8メートルクラスのトヨタ製のワンマンカー3台が主役、高松バスも三菱R380という小型の改造ワンマンカーでの運行であったため、収容力的にも限界があり、なんらかの対策が迫られていた。
 そこで、市内線の主体事業社である高松琴平電鉄の主導で、市内線宮脇線の車両を総入れ替えるため、当時低床式新型車として実用化の目鼻が立っていた三菱自動車工業製のB820Jを購入することを計画した。

 当時の宮脇線の運用は東廻り、西廻りともに3両づつ10分間隔で傍系の高松バスと共同運行されていた。
しかし混雑区間は高松築港から県庁前間のみであり、日替わりで両社の車両が交互に運行するという運行形態であったことから、高松琴平電鉄のみ3両導入しても効果がないため、高松バスにも同型の車両を3両購入させることとし、昭和46年7月から高松琴平電鉄は(香22か・・13、・・14、・・15)3両を、高松バスは(香22か・・17、・・19)の2両の運行を開始した。
 高松バスはこの年の10月に(香22か・・44)を購入した。 宮脇線は100%の低床車での運行となった。車両の仕様は両社ともほとんど同じで、高松琴平電鉄仕様のものを高松バスも導入したといったほうがわかりやすいと思われる。 唯一の違いは運転手の名札入れぐらいであったと思う。

   B820Jの運行により、宮脇線の朝ラッシュはスムースになり、遅延なども無くなるなど効果は絶大であった。
この結果から松島線にも導入されることになり、昭和46年に高松琴平電鉄のみ(香22か・112、・119、・120)3両が松島線に導入され、前年度分の車両と共通運用となった。
 しかし今回の松島線B820Jの導入には高松バスは追従せず、郊外線で使用されていた大型の前中扉ワンマンカー(日野RE100)を導入するにとどまっている。

 これらB820Jは市内線用ということと、高額な購入費用の負担を少しでも少なくするために車体全体に広告が描かれることとなり、華やかなキャラクターの広告車が走ることになった。
  当初のものは車体に直接ペイントで書き込むもので、修理代もかかることから車体を保険付きとしたのが目新しい。
後年は普通の企業広告に変わり、当初の明るいキャラクターは姿を消してしまったのは残念なことであろう。

 昭和50年ごろから高松琴平電鉄の運行形態が変わり、市内線専用から郊外線兼用となったことから、多区間用の運賃表示機、整理券発行が搭載され鹿角線など郊外に進出したが、高松バスの3両は廃車まで市内線専用のままであった。
  B820Jは低床という車体の特性から どの路線にも走れるとわけには行かず、市内線でも栗林線、西通線ではほとんど使用実績がなかった。

 晩年は車内の床の腐食と修理部品の調達に苦労したようであったが、運転手の声としては遅延が出ないこと、パワーステアリング、燃焼式の暖房などが好評であったが、乗心地が悪いことやエンジン音が高いことなど不評な部分もあつた。
  昭和59年から廃車が始まり、昭和61年に高松バスの19号を最後に高松市内からB820Jはすべて引退した。
   バスの使用年数からいっても15年となると長命であったことも書き加えておきたい。

 これらB820J全9両の活躍は昭和45年から50年にかけて高松市内のバス運行にとっても大きな力となったことは間違いなく、B820Jの功績について本ホームページで紹介されることはたいへん喜ばしいことである。

(文責 新橋営業所)
後部ステップ部分がよくわかる
徳島の解体場へ出発前の撮影 ツーマン中ドア車も見える
 
広告は初期塗装の白十字製菓
県営桟橋前にて (新橋営業所様撮影)
 
ダンロップカラーになって間もないころと思われる 
(新橋営業所様撮影)
テールレンズもまだピカピカ
(新橋営業所様撮影)
香22か112 琴電バス 昭和47年 
酒王司牡丹
左からB805L・MR490・B820J
隣のMR470と比べて低いのがわかる
酒王司牡丹の絵柄がわかる
廃車直前の車内 網棚が左に見える
香22か119 琴電バス 昭和47年
高松グランドホテル

昭和61年2月12日 (琴参先生撮影)

宇多津町で 昭和61年7月28日解体
牽引フック右にマフラーガ見える
リアバンパーを貫通しているのはB820Jの特徴
琴電の低床はなぜかほとんど部品取りされずに解体へ出されている。
香22か120 琴電バス 昭和47年
ブリヂストン
旧高松駅舎前
高松築港降り場を出発
築港車庫前 幕は香西車庫前行き
後姿 絵柄がよくわかる
120車内
2006-12-14
解説写真協力・新橋営業所様 琴参先生 まろん様
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